おとなりの家がなくなっていた。
東京の家に戻ってきたら、
すっかり取り壊されていた。
少し前に家の解体の話を伺っていたので、
わかってはいたけれど、
いざなくなっているのを見ると、
淋しさが込み上げてくる。
おとなりのお宅には、
90歳を過ぎたマダムがお一人で住んでいた。
ご主人が旅立たれてから、もう20年以上経つだろうか。
以来ずっと一人でお住まいになっていたけれど、
2、3年前に自立型の施設に移られた。
バラや寄せ植えの鉢など、
よく手入れをされたお庭はとてもきれいで、
季節ごとに、いつも私たちの目を楽しませてくれていた。
特別親しかったわけではないが、
息子が小さい頃はよく可愛がってくださったり、
手作りのパウンドケーキなどお菓子もよく頂戴した。
ご近所では「口うるさいおばさん」と、
もっぱらの話しだったが、
確かに厳しいところもあったけれど、
どちらかというと「ちゃんと意見が言える」マダムだったように思う。
施設に移られたマダムは、
とてもお元気らしいので、少し安心した。
急に移られてしまったので、
ご挨拶もできなかったのが残念でならない。
マダムが不在になった庭の手入れは、
ご近所の懇意になさっていた方がずっと手入れをされていたので、
バラの花も水仙たちも、
変わらず見ることができていた。
取り壊された家の瓦礫と、
土地の真ん中にポツンとショベルカー。
きれいだった大きなバラの木や、
そのほかの草木なども、
すっかり取り除かれていた。
なんとも淋しい風景だ。
この間までそこにあった家が、
きれいに姿を消している。
家というのは、形だけではなくて、
そこに流れた時間ごと建っているのだと思う。
家族の声や、キッチンからの匂い。
いろんな出来事の記憶をすっかり包んで、
そこに在った。
あの素敵だったバラの花を
もう見ることはない。
来週からは、
別のもう一軒の家の解体も始まるらしい。
私たちの暮らしは、
少しずつ姿を変えながら、
こうして更新されてゆくのだろう。
今日は九州の方では春一番が吹いたという。
東京も風が強く、汗ばむ陽気だった。
2026-2-22 家という時間
